『ゲイバーのもちぎさん1』もちぎ 著

この漫画は、母子家庭を支えるため16歳で売春し、18歳でゲイ風俗で働きはじめたという、もちぎのゲイバーでの暮らしが書かれたエッセイです。

もちぎさんは、ゲイ風俗で働きつつ大学受験をして、就職もするのですが、ゲイであることがばれて、退職せざるをえなくなりました。

個人の人間性に重きを置かずに、ただゲイであることという理由だけでその人を攻撃する会社ってあるんだ、、。と驚きました。ゲイに対してどういう偏見をもっているんだろうと思いました。

とはいえ、わたしもいわゆるマイノリティに対して、偏見はないかと言われると偏見はあるかもしれなくて、、。でも、自分の偏見に気づき、たとえその偏見が自分の中から消えなくても、その偏見で相手を傷つけることだけは絶対に避けなければならないと思います。

そして、私は気づきました。

自分、ノンセクシャル(非性愛者)じゃね?

気づいた経緯を説明します。

私はツイッターで性的搾取に関するものを見ていました。性的な表現がされている広告などに対する批判とかです。私はなんで相手(女性)が嫌がっているのに、こういった広告を中止するのを「表現の自由」を侵していると、自信をもって言えるのだろうと思いました。確かに「表現の自由」は線引きが難しいけど、譲歩の姿勢も少しはあっていいんじゃないかと思いました。

そんな中、こういった主旨のツイートが目に入りました。

「胸を大きく露出させた女性キャラの広告に対して性的搾取だと訴えている女性が、次には上半身裸のエロい男性キャラの広告を見て、萌え~と言っている。これは性的搾取では?この違いは?」(女性の発言でした)

このような内容だった気がします。あくまで私の感覚ですが、男性による女性の性的搾取のほうがその逆よりも注目され、非難されているきがするんですが、どうなんでしょう。

ここで「女も同じことしてんだからいいんじゃないか。」というのはまあ、違うかなと思います。男の胸と女の胸は違うし。ほかにも色々理由は考えられる。

しかしここでは、その性表現の是非を問いたいわけではなく!

私が「えええ!女性も性的な表現を好むのおお!?」と思ったことを書きたい!

私は性的表現は男性だけが求めるものだと思ってました。という自分の偏見に気づきました。あと、自慰行為とかも?男性だけがするものだと、、。

(こういう話題って発信の仕方がわかりません。不快になったらごめんなさい)

一方的な行為で、相手が嫌がってんだから広告やめれば手っ取り早いのに。という浅はかな考えがありました。逆方向もあるから難しいのか!と気づいた。

そして、私にはそういった世の中のいう性的欲求がないことに気づきました。というか、どういうのが性的欲求なのかもよく分からんのだが

ノンセクという言葉を改めて調べて、自分をなんか、落とし込むことができたと言えばいいのかな?すっきりした。

ただ、鬱の症状で性的欲求の減退があるからもしかすると一時的なものの可能性もなくはない。そしてノンセクも様々なようです。

恋愛感情でさえ感じない人(アセクシャル)、恋愛感情は感じる人。

私はアセクではないかなあ。ただ、今まで恋人できたことないし、本気で好きになった人もいない気がする。あれは恋だったのか、ただの思春期の恋愛トークに流されただけなのか。正直、恋する❤を経験したことはないかも。でも、恋人って素敵だなあと思うし、いいなとも思う。結婚も素敵だなと思う。好きな男性アイドルもいるし。ときめく感情(恋愛関係なしに)も知ってる。ただ、性的欲求と言われると、急に雲のような掴みどころのないワードに感じる。そしてしたいとは全くおもわない。でも、手つないだり、ハグしたり(性別関係なくだけど)は素敵だと感じるし、いいなと思う。キスシーンもまあ見れる。

自分がするかどうかはわからんが。(自分みたいな奴がキスするのなんか気持ち悪いと思ってしまう。美人だったら、ドラマみたいで良いのになって思ってしまう。)

自分がこんなんだから、アセクの中の違いも、恋愛感情0or100じゃなくて色んな段階?種類?があるんだなと実感できました。

そして、自分も本当はマジョリティではないのかもという実感。

そもそも、マジョリティとマイノリティは便宜上使いたいだけで、これは二極化した考え方なのかもということ。本当はこの二つで片付けられないほど人間は種類豊富だということ。

これを実感することができてよかったです。

漫画の感想じゃなくなりました。